なぜ勉強しなければならないのか?
毎日毎日繰り返される退屈な授業、宿題、テスト勉強、意味不明な数式、私にも勉強が嫌いな時期がありました。
当時の私にとっては学校の勉強なんかよりも、友達との交流や、流行の音楽、部活の方がよっぽど私の興味を引くものでした。将来はなんとなくバンドでも組んで音楽で食べていきたいな、なんてことをふわっと考えていたものです。
こんな勉強になんの意味があるのか?
それは大学受験をするようになってもずっと解消できない疑問でした。
こんなテストで点が取れたからって、社会では何の役にも立たないのではないか?
そんなことを悶々と考えながら、結局私は大学受験のために6年間も浪人したあげく、大学には進学しないで就職するわけですが、それはまた別の話。
今は会社で仕事をするようになって5年目になりました。
そして、バンドでも組んで~、とふわっと考えてたあの頃から比べれば、よっぽど勉強に対して積極的に取り組むようになりました。
「勉強好きだね」と周りからよく言われるほどです。
確かに私は、あの勉強嫌いだった頃や、テスト勉強に無意味感を抱いていた当時に比べれば、勉強することの意味をより深く理解できるようになりました。
そして、ネットを見ていると当時の私と同じように、勉強をすることの意味がよく分からないで苦しんでいる人が一定数いることを知りました。
なぜ勉強しないといけないのか?
この疑問に対して私なりに導き出した答えが、誰かの参考になればと思います。
誰でも勉強が必要なわけではない
もしあなたが今の現実に十分満足している。一切の不満なく生きているのであれば、あなたは勉強する必要は一切ありません。
あなたさえ満足ならば、勉強しろ勉強しろというあらゆる大人からの圧力は徹底的に無視してOKです。やりたくもない勉強に、本気を出せないことに人生の時間を使うのは無駄以外の何物でもないからです。(時間とはあなたの命そのものです。大切に使いましょう。)
しかし、
もしもあなたが今の現実に十分に満足できていないのであれば、あなたは勉強をする必要があります。
ここで注意なのは、私が言っている勉強というのは、必ずしも学校でやるような数学だったり、古文だったり、そういう座学だけとは限らない、広い意味での勉強を指します。
ある人にとっては本や漫画を読んでみるだとか、
ある人にとっては部活やサークル活動に参加してみるだとか、
またある人にとってはアルバイトや仕事を通した経験かもしれません。
人によって学ぶべき分野は異なるし、学ぶ方法も異なるでしょう。
大人たちの中には、そんなの勉強じゃない!と言ってくる頭の固い人がいるのも事実ですが、それは100%無視してOKです。(※その大人たちは勉強が何であるかの本質を理解できていません。この記事のリンクを無言で送り付けてあげましょう!)
それでは、現実を変えたいと思っている人が勉強をしなければならないのはなぜか?
それは、勉強が現実を変える手段だからです。
勉強が現実を変える手段である理由
まず、現実を変えるというのは具体的にどんな事を指すか?
現実に満足できていない人には、こんな自分になることができれば満足。だとか
こんな状況をもたらすことができれば満足。といった理想の状態というものが少なからずあるはずです。
不満というのは、この理想の自分と現実の自分とのギャップがあるために生じる感情なので、
このギャップを埋めるために行動し、
このギャップを埋めることに成功すれば、
あなたは現実を変えて理想の状態に到達したことになります。
例えば、料理なんて一度もしたことが無いけどカレーを作れるようになりたいと思ったとき、カレーの材料と作り方を調べ、材料と必要な道具を用意し、カレーを完成させることに成功したならば、あなたは料理が出来ないという現実を変えて、カレーが作れるという理想を実現したことになります。
ここで、理想と現実のギャップを埋めるためにしたことと言えば、カレーの材料と作り方を調べ、材料と必要な道具を用意し、カレーを作ることに挑戦したというあなたの「行動」です。
「行動」は理想の実現のためには最重要ポイントで、「行動」をしないで現実を変えることは不可能と言っても過言ではありません。
一度もカレーを作ることに挑戦せず、カレーを作ることができる自分になることはできません。
もしも、何の行動をすることもなく理想の自分になることができるのであれば、その人は相当運が良い人です。何もない宇宙空間に、何の前触れもなく急に第二の地球がポンッと生まれるくらいの確率でしょう(諸説あり)。
これで「行動」がどれだけ大切なのかはご理解いただけたかと思いますが、ここで大切なポイントがあります。
それはどんな「行動」をとるべきかという問題です。
勉強が重要となるのはまさにここ
理想を叶えるために自分がどんな行動をとるべきかを決めるためには、勉強をしなければならないのです。
勉強をしないで行動し続けるのは、レシピを調べないでカレーを作ろうとするのと同じ
レシピを調べないでカレーを作る場合を考えてみましょう。
もしもカレーを食べたことがあるならば、作り方を知らなくても何となくは材料は分かるでしょう。
ジャガイモに、にんじんに、玉ねぎに、お肉・・・
あれれ?完成形のカレーのあの茶色いドロドロ感はどうやって出せばいいのだろう・・・
仮に、カレールーの存在を知らなければ、あなたは永遠とカレー特有のスパイシーな茶色のドロドロ感を出すための調味料の調合実験を繰り返すことになります。
人の一生が無限であれば、ひたすら調味料の調合実験を繰り返した先に、お母さんが作ってくれたあの理想のカレーを再現することに成功するときが来るかもしれません。
でも、ほとんどの場合、人の一生は有限で時間という制約があるし、人生のすべての時間を理想のカレーを再現することに費やすことは現実的ではありません。
使える時間が有限である限り、効率を求めるのは当たり前であり、レシピを調べるという行為(=勉強)は、効率を爆発的に高めるための唯一の手段になります。
人生をかけたカレー作りが、レシピをググってカレールーを入れることを知ることができれば、たったの数時間まで短縮することが出来るようになるのです。
勉強をすることで得た知識を使って、現実を変えるためにとるべき行動を決める。
これこそが理想を実現し、現実を変えるための唯一の手段なのです。
どんなに勉強をして行動しても完璧はあり得ない
一旦ここまでのまとめ
- 現実を変えたい人は勉強をするべき
- 現実を変えるとは、現実と理想のギャップを行動によって埋めること
- 有限の人生の中で理想を実現するためには、勉強をしてとるべき行動を決めることが最重要
勉強をすることで得た知識を使って、とるべき行動を決めることが大切とは言ったものの、
現実的には、どんなに勉強をして行動しても、完璧なんてことは絶対にありえないという事を忘れてはいけません。
学校の勉強は基本的に必ず決まった答えがあるものなので、満点を取ることも可能です。
しかし、世の中のほとんどのことは、やってみないと分からないのが当たり前。
頑張って勉強をして、理想を叶えるべく行動を起こしても、100%想定通りに事が進むことはまずありえません。本当です。
私も、これならこれをこうしてああすれば・・・簡単じゃん!と思って、いざやってみたら意外と大変だったなんてこと、一度や二度じゃないほど経験しています。
現実社会では満点がとれないという事の方が当たり前で、ほとんどの場合、想定外のトラブルが発生するものです。
でも気にする必要は全くありません。
そもそも物事を成功に導くセンスというものは、無数の失敗の積み重ねの先にやっと磨かれていくものなのです。
無数の失敗パターンをより多く経験しているから、次に同じような挑戦をするときには、過去経験した失敗を避けた、より洗練された行動をとることが出来ます。
たったの数回の失敗で理想を諦めるのは早すぎます。
勉強し、行動し、失敗の経験を糧に、さらに勉強し、行動し、失敗しを繰り返して、現実を変える力を養っていきましょう。
最後に発明王トーマス・エジソンの有名な格言を引用して終わりとします。
私は失敗したことがない。
— トーマス・エジソン —
ただ、1万通りの、
うまく行かない方法を
見つけただけだ。
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